ズィーラーン国伝シリーズ全4巻ついに完結

ズィーラーン国伝 全4巻 ローズアン・A・ブラウン 作 三辺律子 訳 砂漠の土埃のなかを、神霊や亡霊が跋扈する。ガーナ出身の著者が、西アフリカの神話を下敷きに描く、まったく新しいハイファンタジー

 

Ⅳ巻 訳者あとがきより

西アフリカを思わせるソーナンディ。広大な砂漠のただなか、強固な城壁に囲まれた都市国家ズィーラーンは、繁栄を極めていた。中心にそびえるのは、クサール・アラハリと呼ばれる大理石の宮殿だ。千年前に伝説のバイーア・アラハリが、ケヌア帝国を倒して初代女王となって以来、アラハリ一族が玉座についている。その富と権力にひかれ、ソーナンディじゅうから隊商たちや他国の使節、または難民たちが集まってきていた。

一方、かつて肥沃な土地が広がっていたオーボアは、氏族同士の紛争が絶えず、そこにつけこんだズィーラーンの属領になり果てている。紛争と干ばつ、そして、重税にあえぐ人々のなかには、難民となって、ズィーラーンの都を目指す者たちも少なくなかった。彼らはエシュラの民と呼ばれ、ズィーラーンでは劣った民として差別されている。豊かな文化を持つ民だが、今は、ズィーラーンの守護神崇拝を強制されていた。

守護神とはすなわち、〈太陽〉をつかさどるライオン神ギヤタ、〈月〉をつかさどるフクロウ神ペトゥオ、〈風〉をつかさどるヨダカ神サントロフィ、〈地〉をつかさどるヤマアラシ神コトコ、〈水〉をつかさどるカバ神スソノ、〈火〉をつかさどるヒョウ神オセボ、〈生命〉をつかさどるノウサギ神アダンコであり、その上に〈大いなる女神〉と呼ばれる女神が君臨している。〈大いなる女神〉がこの世界を創造したときには、神々が第一、そして第二が〈陰の民〉と呼ばれる霊的存在、第三が人間、第四が動物と、世界は四つの階層に分けられていたものの、あらゆる生き物は永遠に生きることができ、女神のおんちょうを享受していた。しかし、〈陰の民〉の力に嫉妬した人間は、〈陰の民〉をだまし、魔法の力を手に入れる。

それが、ズーウェンジーとユールラジーだ。

ズーウェンジーは、火を召喚する、大地を揺らす、など物理世界に作用する魔法を操る。対するユールラジーの魔法は、触れることのできない非物質世界に作用し、人の心を読んだり、幻影を生み出したりすることができる。しかし、〈大いなる女神〉は、人間が魔法を盗んだのを知って、怒り狂い、かくして人間は死すべき運命にあるものとなり、動物と話す力も失った。そして、〈陰の民〉は、人間からは見えない別の世界へ追放されたのだ。

 

以上が、前半部(Ⅰ巻『神霊の血族』・Ⅱ巻『王の心臓』)で明らかになった世界のあらましだ。読者が、ズィーラーンの王女であり次期女王のカリーナと、エシュラの難民である少年マリクと共にズィーラーンを巡るにつれ、その成り立ちや、隠された歴史があらわになっていく。しゃくねつの砂漠から、貴族たちがごうしゃな暮らしを楽しむ宮殿へ、そして千年前に滅びた帝国の地下都市へと、物語空間は広がっていった。と同時に、十年前の宮殿の火事の真相や、幼少期のマリクが抱えていた困難から、千年前のバイーア・アラハリと〈顔なき王〉ことイディアの確執、そして、先ほど述べた世界創造の神話へと、物語時間もどんどん拡大していった。これぞ、ファンタジーを読むだいと、楽しんでくださった読者は少なくないと思う。

そして、今回発売された『ふたりの女王』と『運命のとき』では、宮殿の元家令ファリードに追われ、とうとうズィーラーンを飛びだしたカリーナと、オボソムイディアを意識のなかに捕らえたマリクのその後が語られる。〈よみがえりの儀式〉と〈生まれ変わりの儀式〉という、太古の魔法を軸に、物語の時空間はさらに広がっていく。ズーウェンジーであるカリーナと、ユールラジーであるマリクは、それぞれの魔法を開花させていくが、それは、二大魔法の過去の確執にからめとられることも意味していた。ファリードの牛耳る宮廷にとどまるマリクと、玉座を取り返そうとするカリーナは、まさに敵同士だが、その関係は千年前からの定めでもあったのだ。

そして、その定めを知りつつも、ふたりは強烈にかれ合うことになる。ふたりの愛の行方はどうなるのか。
〈よみがえりの儀式〉で第二の生を得たカリーナの姉ハナーネや、元近衛兵センティネルのズーウェンジーであるカラカルとその相棒のイーフェ、正体不明の〈百のかぎづめを持つマーメ〉など新しい登場人物も加わり、さらに魅力とスピード感を増す第二部を、多くの読者に楽しんでほしい。

 

作者のローズアン・A・ブラウンは、一九九五年八月二十六日、ガーナのクマシに生まれた。三歳のときに、家族と共にアメリカのメリーランド州へ移住する。その後、メリーランド大学ではジャーナリズムを専攻。卒業後は、Pitch Wars(新人作家をメンターが支援するプログラム)に参加し、この「ズィーラーン国伝」でデビューした。

弱冠二十四歳にして、これだけのスケールと深遠なテーマを持った波乱万丈の物語を描いたということには、舌を巻かざるを得ない。翻訳する際、原書で上巻四八十ページ、下巻五六十ページという大著の日本語訳原稿を何度も読み直したわけだが、読み直すごとに新しい発見があり、深みのある登場人物たちや、破綻のないストーリー運び、なによりこれまで読んだどんなファンタジーにも負けない──いや、一、二を争うすばらしい別世界の造形に、心を奪われた。

それを可能にした理由のひとつは、やはり彼女のルーツに求められるだろう。本作は、西アフリカの伝承や民話に影響を受けており、ブラウン自身、アカン神話に出てくる精霊などを一部、取り入れたと話している。アカン神話とは、主にガーナやコートジボワールに住むアカン人(特にアシャンティ)のあいだに伝わる宗教や伝承の体系だ。特に、神話に出てくるオボサム(Abosam)という、創造主の下位の存在となる精霊や、トリックスターであるアナンシ(Anansi)については、多くを研究したと語っている。とりわけアナンシはアカン神話でも有名な存在で、さまざまな獲物をだますのが得意で、「すべての物語の王」という異名をとったことで知られる。まさに、本作の語り部グリオであるハイエナを思い出さずにはいられない。

しかし、ブラウンが同時に、「植民地時代以前のアフリカにインスピレーションを求める際、一次資料のほとんどが失われたり破壊されたりしていることは、いらたしい現実だった」と述べていることを忘れてはならない。
こうした彼女の苛立ちは、アフリカをモデルにしたアフリカの人々が活躍する物語として命を得た。
以下は『王の心臓』のあとがきにも引用したが、ここでもう一度、紹介したい。

 

わたしはいつもファンタジーが大好きでしたが、ファンタジーのほうがいつもわたしを愛してくれるとはかぎりませんでした。黒人の女の子を主人公にしたファンタジーを見つけるのは、ほとんど不可能だったのです。わたしは、ファンタジーに描かれるような壮大なアクション、冒険、ロマンス、魔法、裏切りのすべてが詰まっている物語を読みたかった。それと、同時に、わたしが共に育ってきたような人々に近い人物や文化が登場する物語を望んでいたのです。そして、本書のアイデアが生まれました。

 

また、別のところで、こうも述べている。

 

書くのが好きなキャラクターとしてイディアと答えましたが、カリーナはわたしの心のなかで特別な存在です。強く、傷つきやすく、まちがいを犯すことが許される黒人の少女を描くことができたのは、本当に光栄でした。彼女は、わたしが十代のころに出会いたかったキャラクターなのです。

 

ブラウンがファンタジーに夢中になったきっかけは、ハリー・ポッター・シリーズだった。「物語というものの持つすばらしさに、初めて気づかせてくれた」とブラウンは言う(ただしJ・K・ローリングに対する見方はそのあと変わったそう)。

しかし、ハリー・ポッターの主人公は白人の男の子だ。同じようにそのころ熱心に読んだ本として、ブラウンは、ガーナのおばが送ってくれた民話の本を挙げている。この本が、のちのブラウンの創作に直接影響を及ぼしたことは、言及するまでもないだろう。

そして、二十歳のころ、ブラウンは運命的な本と出合う。Sabaa Tahir(サバー・ターヒール)のAn Ember in the Ashesだ。「わたしが久しぶりに読んだ、非西洋世界を舞台にした本格的なファンタジー作品でした。ターヒールが物語を紡ぐ手法は緻密で、アクションシーンは圧倒的な迫力だった。あの本を読んでいるあいだ、息すらできないほどでした(「Publishers Weekly 2020.6.26」)」。ブラウンは今でも、この作品を読み返すことがあるそうだ。ファンタジーは、「現実世界の問題を議論する強力な手段」だと、彼女は考えている。

同じインタビューで、ブラウンは、銃撃事件の犠牲者となったトレイボン・マーティンに触れている。「わたしはトレイボン・マーティンと同じ年に生まれました」。トレイボン・マーティンは、アフリカン・アメリカンの高校生で、十七歳のときに自警団団員だったジョージ・ジマーマンに射殺された。そのとき、マーティンは丸腰で、にもかかわらずジマーマンがすぐに釈放されたことから、抗議の声が広がり、ブラック・ライブズ・マターの運動へとつながったことは、よく知られている。

こうした強い思いが反映されている作品はほかにも多くあるが、ブラウンが頭ひとつ分どころか軽く三つ分は抜きん出ている理由は、彼女の思いがファンタジーの物語として昇華されているところだ。ほうじょうな別世界、生き生きとした登場人物、彼ら/彼女らの抱える深い苦悩や喜び、複雑な心理、そして起伏に富んだ手に汗握るストーリー。読者は、読んだ年齢や時期、そのときの環境や抱えているおもいによって、幾通りものテーマをこの作品にいだすだろう。だからこそ、この作品はいつか古典になると、わたしは信じている。

 

2025年12月
三辺律子

 

※本稿は、書籍掲載の「あとがき」を一部省略して掲載しています。

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